小泉ヒストリー
小泉順助、リエ夫婦
今をさかのぼること100有余年、明治45年4月、中国新聞創刊20年目に創業者の小泉順助、リエ夫婦が賀茂郡郷田村(現西条町田口)で小さな新聞販売店を始めました。
「切手を売るような仕事だから正直者の二人にはぴったりだ」と勧められたのがきっかけだったようです。当時はJR西条駅まで自転車で新聞を受け取りにいき、現在の西条町田口から呉市郷原の辺りまで呉街道を左右に分かれ夫婦で配っていました。
昭和9年4月には、JR西条駅前に販売所を移し、以降平成14年12月に区画整理で移転するまでの70年間、木造の店舗で営業を続けました。
「切手を売るような仕事だから正直者の二人にはぴったりだ」と勧められたのがきっかけだったようです。当時はJR西条駅まで自転車で新聞を受け取りにいき、現在の西条町田口から呉市郷原の辺りまで呉街道を左右に分かれ夫婦で配っていました。
昭和9年4月には、JR西条駅前に販売所を移し、以降平成14年12月に区画整理で移転するまでの70年間、木造の店舗で営業を続けました。
店舗前にて(小泉順助、孫の和代と) |
配達少年たち(旧店舗前にて) |
保、冨枝夫婦
2代目の所長である藤野保は海軍の軍人でしたが、原爆により家族を失い、又家も消失したため、妻である冨枝の実家の家業である新聞販売に従事することとなりました。知人のまったくいない西条で仕事をすることとなった保は、地域との結びつきを深める一つとして、はじめは抹茶の会、後にコーヒーサロンを始めました。それが昭和23年頃のようです。毎朝8:00頃から10時過ぎまでの2時間余り、20杯分のコーヒーをたてて、どなたでもお迎えしました。お勤めの人は出勤前に、自営業の人は朝ひと仕事したあとにと次々立ち寄り、コーヒーを飲みながらの情報交換の形で、正月三ヶ日を除く年中、休みなく続きました。このサロンは保がなくなった後も続き、現在も毎朝開かれています。
中国駅伝で審判長を務める藤野保 |
配達OBの社会人を囲んで卒業祝いの会 |
現在の小泉サロン |
鈴木常徳、順子夫婦
昭和50年に保、冨枝夫婦の次女である順子と結婚した、愛知県出身の鈴木常徳が新聞販売業の手伝いを始めました。見知らぬ土地でしたがサロンのメンバーから多くの力添えをいただき、大変心強かったそうです。常徳が昭和61年4月に3代目所長となり、それを機会に法人化した際には、社名を迷わず先々代からの屋号である小泉新聞舗と定め、現在に至っています。
3代目の時代、サロンに集まる人々を中心に、毎月15日発行の地域情報紙「マイタウン西条」を創刊しました。小泉サロンのネットワークを活かし、幅広い読者の方々に登場していただくと同時に、新聞社の主催行事の案内や販売店独自のお知らせや思いを読者にお伝えし続け、16年間200号まで発行しました。現在は4代目鈴木圭太、有希子のネットワークを活かし、新しく子育て世代の話題も取り入れた「小泉新聞舗新聞」を発行し、平成27年6月号で100号目を迎えます。新旧が交わる西条のまちにあたたかいつながりを広げ続けていきたいと編集者一同、努力をしています。
マイタウンファミリーの編集者たち |
現社屋の竣工式
平成14年12月に、西条駅前の区画整理事業により、古い店舗を新築移転することになりました。新しい店舗でも小泉サロンを継続し、加えて新店舗2Fに新設した多目的交流スペースを開設し、たくさんの地域住民の皆様との交流の場にしたいという常徳の思いを具現化した、まちの社交場として、多くの人にご利用いただいております。
地域貢献大賞の授賞式
平成22年、一般社団法人日本新聞協会より地域貢献大賞をいただきましたことは、小泉サロンを通じて、60年以上この地域の結びつきを深めたいという先達の想いを評価していただけたものと感謝しております。賞の目的である新聞販売店の信頼向上、イメージアップに微力ながら貢献できたなら、この上ない喜びと感じております。
鈴木圭太、有希子夫婦
初代から100年以上休むことなく配り続けてきた新聞というバトンを地域読者の皆様へ届ける担い手として、小泉新聞舗は今まで以上に感謝の気持ちを忘れず、地域と共に成長していきます。